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大阪高等裁判所 平成4年(行コ)10号 判決

控訴人

栄千代子

右訴訟代理人弁護士

井上二郎

竹岡富美男

上原康夫

被控訴人

茨木労働基準監督署長下佐粉楠夫

右指定代理人

山口芳子

山崎徹

山田勇

平山昭

弥氏紘一

阿部旨晴

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人に対し、昭和五八年六月一五日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  申立て

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  事案の概要

次に付加、訂正するほか、原判決二枚目表以下の「第二 事案の概要」の項に示されているとおりである。

(一)  二枚目表一〇行目の「本態性高血圧症に基づく脳出血」を「高血圧症に基づく脳卒中」と改める。

(二)  三枚目裏七行目から四枚目表八行目までを次のとおり改める。

「(1) 新幹線の車両は一編成平均一六両であるが、一編成の車両の作業は、八名の作業員と班長一人から成る一班が四両を担当し、そのうちの二人一組の単位で一両を担当する。この組の構成は、日ごとに入れ替わる体制となっており、一両につき長くて六〇分、平均して約五〇分で作業を終える手順となっていた。

(2) 徹夜勤のうち休憩・休養時間が八時間で、実働時間が一五時間四〇分である。午前九時一〇分ころから就労。午前一〇時ころから同一一時ころまでの間に昼食休憩約三〇分。その後、午後四時ころまで就労。約四〇分の夕食休憩後、翌日午前二時ころまで就労。その後仮眠室で仮眠をとる。以上の時間帯となっていた。

徹夜勤では一日に一二~一三編成の車両を扱っていたので、一人(一組)当たりで、各編成のうちの各一両、合計一二~一三両を扱っており、実際の実働時間は、この取扱い車両数に見合うものであった。

(3) 早夜勤のうち休憩・休養時間が六時間、実働時間が九時間四五分であるが、実際には、午後五時ころから翌日午前二時過ぎまで継続して就労。その後仮眠をとる。以上の時間帯となっていた。

早夜勤では一日に六~七編成の車両を扱っていたので、一人(一組)当たりで、各編成のうちの各一両、合計六~七両を扱っており、実際の実働時間は、この取扱い車両数に見合うものであった。

(4) 遅夜勤のうち休憩・休養時間が一時間、実働時間が九時間四五分であるが、実際には、午後七時三〇分ころから翌日午前三時過ぎまで継続して就労。その後、詰め所で待機、休養する。以上の時間帯となっていた。

遅夜勤では一日に六~七編成の車両を扱っていたので、一人(一組)当たりで、各編成のうちの各一両、合計六~七両を扱っていて(ママ)おり、実際の実働時間は、この取扱い車両数に見合うものであった。」

(三)  四枚目表一〇行目末尾に続けて、「別表一のうち灰皿約一六〇個は、一両当たりの個数である。」と挿入する。

(四)  五枚目表二行目の「作業場」を、「車両外の車庫内」を加え(ママ)る。

六枚目表一行目の「前日に比べ」を、「前々日の午後九時が一〇・一℃、前日の午後九時が一一・七℃であったのに比べ、五℃前後の程度で」と改める。

(五)  六枚目表四行目の「同五一年」を「昭和五一年」と改める。

(六)  六枚目裏一〇行目の「昇は、」から同一一行目末尾までを削除する。

(七)  被控訴人は、次のとおり補足して主張した。

一般に、脳血管疾患は、必ずしも単一の原因によって発生するのではなく、病的な素因ないし基礎疾病、体質や遺伝、食生活、気候条件、喫煙や飲酒その他業務に関連のない生活環境によって日常生活上どこでも起こり得る疾病である。最新の医学的知見によっても、脳血管疾病の原因となる特定の業務は認められていない。

血圧の変動は日常的に発生し、正常人においてもその変動幅は平均して、三〇mmHg前後である。労働者が通常の業務に従事する上で受ける負荷による影響は、血管病変等の自然経過の範囲にとどまるから、通常の所定の業務の過程で発症したような場合には、業務起因性は認められない。業務起因性を肯定するためには、当該労働者が、その通常の所定業務と比較して、特に過重な精神的、身体的負荷と客観的に認められる業務に従事したことが認められなければならない。これは、同僚労働者又は同種労働者にとっても、特に過重な精神的、肉体的負荷と判断されるものでなければならない。

昇の本件疾病(死亡診断書では、「脳卒中」が直接死因とされている)が発症した当時及び一週間前からの訴外会社における業務内容は、原判決が認定しているとおりであり、これによれば、昇の業務は通常業務を超えた過重なものでなかった。昇の発症は、基礎疾患である高血圧症及び動脈硬化、そして加齢による自然増悪による動脈瘤破綻によるものと考えるべきである。深夜勤務にあっては、生理的機能の乱れによって、日勤勤務に比べ労働の生理的負担の程度は相対的に強いであろうが、生理的機能には、身体の活動の状況に対応した予備力が備わっているので、当該予備力の範囲内の生理的機能の乱れであれば、深夜勤務に伴う労働の生理的負担の程度の相対的強まりが、直ちに身体に悪影響を及ぼすものとはいえない。

控訴人は、使用者の健康管理義務違反が、業務起因性の判断において考慮されるべき事情だと主張する。しかしながら、業務起因性における相当因果関係は、業務自体に、それに従事する者に疾病をもたらす危険が内包され、かつ、疾病が右危険の現実化として発症したものであることが客観的に認められる点に存する。労働契約上の安全配慮義務違反(健康管理義務違反)を業務起因性の判断基準に含めるのは相当でない。安全配慮義務違反の理論は、契約上の債務不履行による損害賠償請求権を基礎付けるためのものであって、過失責任が適用され、無過失責任が前提とされる業務起因性の局面とは根本的な差異がある。

三  当裁判所の判断

1  (証拠略)、控訴人本人尋問の結果(原審)並びに弁論の全趣旨によれば、前記事案の概要で付加、訂正して引用した原審の示した事実に加え、次の事実が認められる。

(一)  昇は、前勤務先のタカラベルモント(株)では日勤のみの作業に従事し、時間外労働も月当たり二、三時間程度にとどまっていた。同社が二交代勤務制を導入し、夜勤に従事しなければならなくなったことと、希望退職を募ったことから、昇は同社を退職するに至った。次の就職先としては夜勤のないところを希望したが、年齢的に希望の職場が見つからず、縁もあって訴外会社(関西新幹線整備(株))に勤務し始めた。

(二)  昇は、訴外会社の勤務先へは自宅から約一時間を通勤に要し、勤務してから当初の一週間ほどは日勤であったが、その後は、非番の日勤は若干日数存したものの、本件発症までの間、通常の日勤は皆無であり、その上、非番日勤を含め、原判決別表二に記載のとおり、頻繁に超過勤務に従事していた。

(三)  昇は、本件発症当年の一一月二二日から同月二五日までの間は、親戚の結婚式に出席するために休暇をとったが、その後は、再び超過勤務を繰り返した。特に、休暇開けの一一月二六日からの徹夜勤務を終えたその日の二七日は、本来は非番なのに早夜勤に従事し、同月三〇日は、前日からの遅夜勤が午前五時四五分まで続いたにもかかわらず、その当日の午後七時三〇分からの遅夜勤をし、更にその翌一二月一日は、右の遅夜勤に午前五時四五分まで従事していたのに、続けて午前九時からの日勤に加え、更にそれに続く夜勤に従事するなどの勤務状況であった。一二月六日からは、三回徹夜勤が続き、一一日朝に徹夜勤が終わって非番となり、その翌々日の一三日の午後七時台からの遅夜勤をしている最中に本件発症に至った。

2  以上に示したすべての事実に即し、かつ、新たに事実認定を加えた上で、夜勤の関係以外の本件の事実を整理すると、次のとおりである。

(一)  昇が従事していた作業は、前記認定のように、制約された時間内での清掃であり、箒での清掃、ゴミ拾い、座席の灰皿からの吸い殻除去、シートカバー付替え、モップがけ、ガラス拭きといったものであり、本件発症当日は、二人組みで行ううちのより過重なA作業に従事していた。座席が並んでいて作業箇所が狭い車両内での冷水の雑巾しぼりを含む清掃作業は、前かがみ、中腰等不自然な姿勢を頻繁に繰り返す作業であった。そして右作業は、一両当たり長くても六〇分という制約された時間内で仕上げなければならなかった。

(二)  本件発症当日は、平常の作業に加えて、天井の蛍光灯の中の油虫(ゴキブリ)の除去作業を行っていたが、この除去は、椅子の上に上がりねじを回して蓋を開けるなどの作業であったが、手を頭上に上げて行う必要があったため、緊張を更に強いるものであったことが十分に推測できる。

(三)  本件作業は運転直後の新幹線車両内で行われているところ、冬期の車両内の温度は平均二三℃前後で、高温であるが、車両基地の新幹線大阪運転所構内は、外気が直接入ってくる状況にあった(〈人証略〉)。大阪気象台の観測結果では、本件発症当日の昭和五六年一二月一三日の気温は、午後九時時点で五・七℃であったが、これは、前々日である一一日の同時刻時点の一〇・一℃、前日である一二日の同時刻時点の一一・七℃に比してかなり低い値である(〈証拠略〉)。ただし、車庫内は屋根に覆われているため、外気温よりも若干は(四℃前後)高いことが推測され、車両内と外気温との差は右の値によるよりやや小さい。

3  ところで、(証拠略)(日本産業衛生学会交代勤務委員会作成「夜勤・交代制勤務に関する意見書」)、(証拠略)(岡山大学医学部衛生学教室医師中桐伸五ほか作成の意見書)、(証拠略)(財団法人労働科学研究所長斉藤一監修労働科学叢書50「交代制勤務」(昭和五四年))、(証拠略)(医師白井嘉門作成の意見書)、(証拠略)(藤井潤編「高血圧」)、(人証略)並びに弁論の全趣旨によれば、夜勤あるいは交代勤務制は、人間固有の生体リズムに反するものであること、そして、昼間の睡眠は夜間の睡眠と異なるものであることが、生理反応や脳波の研究から明らかにされており、夜間勤務、交代勤務が継続すると睡眠不足のまま推移することのあることが知られていること、夜勤昼眠生活に対する生体リズムの位相逆転は完全には成立せず、長期間その夜勤や交代制の勤務が継続しても身体に慣れは生じて来にくく、短時間の休息では疲労は十分に回復せず、疲労がそのまま蓄積して過労状態が進行し、健康障害の原因となる危険性が高いこと、そして、睡眠不足や休憩の不足は血圧の上昇をもたらすことを指摘する学者があること、一般に、血圧は低温下で上昇し、五度以上の急激な寒暖差は血圧の上昇をもたらし、また、冬期寒冷時、冷水の雑巾しぼり作業の影響により、寒冷刺激が血管神経中枢に及び反射的に血圧を上昇させることがあることが認められる。

4  本件においては、労災補償制度上における要件である業務起因性の存否が問題となっている。この業務起因性は、労働者災害補償保険法ないし労働基準法所定の要件、すなわち、業務と発症との間の相当因果関係を認める基準の一つにほかならない。その発症又は増悪の経緯若しくは病態が、基礎疾患又は既存疾病の自然的経過や他の原因による場合には、この相当因果関係は認められないが、業務上の要因により、基礎疾患又は既存疾病の自然的経過を越えて発症した場合にはこの相当因果関係が認められるものというべきである。

5  (人証略)の原審証言と弁論の全趣旨によれば、本件疾病(〈証拠略〉の死亡診断書では、直接死因が脳卒中とされている)は、高血圧症が相当期間継続したことにより生じた脳動脈病変(微小動脈瘤)が、自然経過によって増悪し発症する例が多いが、急激な血圧変動の過重負荷により破綻し、発症する例もあることが認められる。

本件における前記事実関係からみると、訴外会社入社後約三か月の昭和五六年一一月には、特に最低血圧が一〇〇mmHg前後にほぼ固定するに至っており、昇の基礎疾患である高血圧症が時間的経過によって増悪してきたことがうかがわれるところ、私生活上の要因として、この増悪に影響したものは認められない。昇が煙草を一日四〇本程度吸っていた事実はあるが、喫煙は急性血圧上昇をもたらすことが報告されている反面(〈証拠略〉)、喫煙者は一般に非喫煙者に比べて血圧が低く、禁煙によって血圧が上昇しているといわれることもある一方で、喫煙は動脈硬化に密接に関連するといわれることもあり(〈証拠略〉「現代医療」二三巻三号九六頁)、喫煙が本件症状に対し、どの程度原因しているかいまだ判然としない。そして、一般的にみて、四九歳という、いまだ五〇歳未満だったにすぎない年齢時における発症であることにかんがみると、単純な私生活上の要因ないし体質的素因が、昇の高血圧の増悪をもたらしたとみるのは相当でないというべきである。

他方、右の時間的経過のうちには、事実として、本件発症まで約四か月間の訴外会社における昼夜逆転勤務、時間外労働の反復があることは明白である。

日常業務自体が、昼夜逆転、短時間での処理、温度差による悪影響を伴うものであり、高血圧症に罹患している者にとっては、冬期の深夜において寒暖の差が大きい屋外と車内の間を行き来する作業が、精神的緊張をもたらし、かつ肉体的疲労を蓄積させるものであり、高血圧症に悪影響を及ぼすものであることは、前記3でみたところから容易に推認することができる。他面、この影響に対し、昇の従事していた作業内容でマイナス要因(すなわち、昇の健康にとっては好要因)となるような業務上の要素は認められないのである。

なるほど、昇は、発症の数日前の二、三日間にあっては、私的所用のため継続して業務に就かなかったという事実があるが、それまでの間、勤務時間の不規則性、昼夜勤務の逆転が相当期間継続していたことなど、高血圧症の基礎疾患を抱える者にとっては、その増悪要因が多数に上っていたことにかんがみると、高血圧症が回復せずに、蓄積されてきたそれまでの数か月にわたる昇の前記作業継続に伴う増悪が、右の二、三日間の不就労で、増悪以前の状態にまで回復していたと認めるのは困難であり、かえって、若干日数における健全な私生活から再び冬期の夜間勤務に就いたことに伴い、身体の緊張が一気に高まったことの可能性も否定できないところである。

6  結局、本件の事実関係を総合してみると、私生活上の活動においては、高血圧症を増悪させ、蓄積させた要因は見当たらず、本件疾病が、加齢による自然増悪の過程において、労働拘束勤務時間内にたまたま発生した脳血管損傷による脳出血であったと認めるには不自然であり、高血圧症にあった昇にとって更に血圧の上昇の原因となる、夜勤、交代勤務による睡眠不足や、不自然な姿勢による作業が数か月続いた後における、寒暖差の大きい冬期の深夜作業が一段落した直後の点検待機中に、高血圧の増悪状態が極まったところで、精神的緊張と肉体的疲労が高じて一過性の血圧亢進が生じ、自然的経過を超えて遂に脳出血を誘発し、本件発症に至ったものと推認するのが経験則に合致するものというべきである。すなわち、昇の数か月にわたる訴外会社における業務と当日の業務が有力な共働原因ないし誘因となって、基礎疾患たる高血圧症の自然的経過を超えて急激に影響し、一過性の血圧亢進を引き起こしたものと認めるのが相当である。

したがって、訴外会社における昇の本件業務は昇の死亡時期を早めたものであり、本件業務と昇の死因原因との間には相当因果関係があるものというべきである。

四  結論

よって、昇の死亡が業務上の事由によるものとは認められないとして、昇の妻である控訴人に対し遺族補償給付及び葬祭料を支給しないものとした本件処分は違法であり、その取消しを求める控訴人の本訴請求は認容されるべきである。本訴請求を棄却した原判決を取り消した上、本件処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 山﨑杲 裁判官 塩月秀平)

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